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東大生が行く世界一周おっぱい人の旅
世界一周の旅人になった僕。僕には物欲は無い!!と言い張っていたが、歯ブラシが無いとき、歯ブラシが欲しい!!という感情は果たして物欲というものなのか。未知との遭遇に戸惑い、泣き、笑い、そしてオナニー


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気円斬ひとくん

Author:気円斬ひとくん
僕にとって人生はゲームだ。
長い長い「ときめきメモリアル」だ。
僕は、このゲームに正面からぶつかって、とことん楽しみたいと思う。



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中国  バスの中より   自由への門を野原で開く
その日、僕は寝台バスに乗っていた。

寝台バス。日本ではなかなか聞かない言葉だ。

国土がそれほど広くなく、鉄道の発達している日本では必要のないものだからだろう。

ここは中国、国土は陸地の15分の1、人口は世界の5分の1と言われている大国だ。
日に何本かの列車では国内移動需要をまかなうことは到底できず、遠く何百キロ、何千キロと離れた地がバスで結ばれている。
そこで登場するのが、寝台バス。
通常乗客のシートのあるところに、上下2段、横に3列でひたすらベットが連結されているという簡易な構造だ。

一人に与えられた狭いスペースに横たわって、薄汚い布団を羽織り、僕は大同から西安まで、15時間の道のりを旅していた。
夕方4時半に出発し、翌朝8時に到着する予定だ。

イングランド人の3人組と僕は一緒だった。

デイブ、ジャック、サム。

彼らとは大同のドミトリーで出会い、西安に同行することになった。

彼らも大学を一年間休学してこの旅をしているのだそうだ。
聞けば、18、19歳らしい。
僕よりも若いのだ。
みんな背が高くて、髭やら胸毛やらもじゃもじゃ生やしているから年がわからない。
彼らの場合、この一年間の初めの4ヶ月は旅の資金稼ぎのために働いたのだそうだ。その後の3ヶ月間にネパール、タイ、カンボジア、中国と旅行する計画で、イングランドに帰ったら学校が始まるまで再び働くらしい。
彼らの自立心に尊敬の念を覚えた。
親から借りれば早い話なのだ。僕と同じようにいくらでも旅することができる。働かなくたって世界一周はできる。
事情はどうあれ、現に彼らは自分たちのお金で、自分たちの力でこの旅をしている。
彼らにとって、この旅はかけがいのない大旅行なんだろうな。

まぁ、それは僕にとっても同じか。


彼らの190cmを超えるであろうでかい図体には、中国人用のこのバスのベットはとても小さそうだった。



バスの中で、寝たり、お菓子を食べたり、窓からの風景を眺めたり、贅沢な旅だった。狭いベットに閉じ込められているこの状況を贅沢だと感じるのは僕くらいかもしれないが。。
僕にとっては「移動する旅館」だった。

問題はこの旅館にトイレが無いことだった。

僕は、ダイアリーア(げりぴー)だったのだ。

この15時間という果てしない時を密室に閉じ込められるというこの状況で、

僕は、ダイアリーア(下痢ぴー)だったのだ。

途中で止まったガソリンスタンドで、調子に乗ってクソまずい夕食を食べまくったのがいけなかった。

バスが再び発射すると、少しもせずに恐ろしい感触が腹の中から湧いてきた。

頼みの綱の正露丸はバスの下のバッグに忘れてきてしまった。

次のトイレ休憩まで、何時間かかるかわからないという想像を絶する恐怖の中に一瞬にして放り込まれる。

もしかしたら就寝時間ということで、到着までもう休憩はないかもしれない。

そしたら10時間以上耐えなければならない。。。

それは永遠だ。今の僕にとっては1分が果てしなく遠い。

気にすれば気にするほど、腹の痛みはますます激しくなる。
僕の肛門の筋肉もそう長くはもたない。修行不足がたたった。

僕のキャパをはるかに超えた圧力が肛門にのしかかってくる!!

額から汗が噴出した。

これが、脂汗、、、というものか。

なんて、意識を下半身から離している余裕はないっ

マジっっもれるぅぅ

運転手さんに訴えるか?
しかし、ここは高速道路だ。トイレなんてそう近くにはない。
トイレまでいけるのか?僕の腹はもつのか?
それに止まればほかの乗客にも迷惑がかかってしまう。
出発したばかりで、バスを止めるなんて、、、
しかし、しかし、しかし、もう耐えられない。
体裁を気にする余裕はない。
もう、漏らしてしまう
漏れてしまう


それよりはマシだ!!!

僕は運転手さんに訴えた。


バスは、道路の途中で止まった。

そして、僕は生まれて初めて野ぐそをした。

それはいつもと変わらない手順で済んだ。

案外気持ちいいものだった。

僕は、一つ自由になった気がした。

バスに戻ると、イングランド3人組が僕を見て笑い転げた。

笑いもとれるなんて、おいしい野ぐそだ。

また、いつ腹が痛くなっても、すぐにバスを止めて、すぐ横ですればいい。

そう安心すると、嘘のように腹の痛みは無くなって、
僕は快く眠りに落ちることができた。






友達が勝手につけてくれました☆




中国 北京より モリコーとミツ
今日は空がどんよりしていた。
万里の長城を早く拝みたかったけど、なるべく天気のいい日がいい。
僕の気持ちもどんよりして、ホテルでぐだぐだ。なかなか動く気になれない。
仕方ない。予定変更で紫禁城でも見てくるか。

チケット売り場に行く。

そこで見覚えのある髪型が不意に視界に入ってきた。

げ、、、あれはミツ?だ。ミツだ。ミツだ!!

中国に来ることは知ってはいたが、知ってはいたのだが、いや、知ってはいたのだ。が、まさか偶然にもこの日、この時間、この場所で、この半径10m以内にお互いが存在することになるとは!!

とっさに僕に浮かんだ考えは、、、どこに隠れよう!!

ん?なんで隠れるんだ?僕の思考回路はなんでこう不可解な、、、

いや、それよりも、奴に見つけられるのはダサい。
見つかるより先に飛び膝蹴りをくらわそう!!

僕は全速力で突撃した。

ズコっ

しばしの沈黙。。。。

お互いの目を見つめあう二人。。。。

ミツ「あーーーーーーーーー!!」
ひとくん「あーーーーーーーーーー!!」


それからは、僕とミツと、ミツの友人でともに旅をしているというモリコーの3人で行動することになった。
まるまる二日間一緒にいて、二日とも夜遅くまで飲んだ。

ひさびさに話す日本語は、なんか新鮮だった。

漫画やアニメの話題から始まり、女のこと、友達のこと、サークルのこと、劇のこと、クラスのこと、教育のこと、人生のこと、いろんなことを肩を並べて話した。ガチで話した。

僕も、自身のバイブル、「東京大学物語」について、熱く語った。
とくに、村上直樹がトイレに突撃し、必死で隠そうとする遥ちゃんの足を強引にこじ開けるシーンの説明には力がこもった。

異国の地にいることが、僕たちを饒舌にさせていたのかもしれない。

ひたすら、止まることなくしゃべり続けた。

ミツは以前からの友人だ。しかし、こうして向き合って飲むのは初めてだった。

モリコーは、客観的に自分や周りの状況を判断できるくせに、それでも青臭いことを本気で語ることのできる魅力的な奴だった。
そんな男に、リーダーとして慕われているミツもなかなかの男だ。

彼らの心は、むきだしでなんの覆いもなくそこにあった。

それは、少し危なげで、不安定なようだけれど、居心地のいい刺激を僕に与えてくれた。

教育の世界で生きていくことを決めているモリコーは、日本に帰ったら教育の現場を知るために日本全国の学校を回るつもりだそうだ。
すべて自分で考えたことで、自分の力で成すつもりらしい。

そのことについて、彼がある社会人に話したとき、その社会人はモリコーに
「そんなに生き急ぐ必要はないんじゃないの?」
と言ったという。

そんな言葉は聴く耳持たずでいこうぜ、モリコー。

僕たち若者は、何も知らない。何も持たない。

何も持っていなかったら、自分たちでひとつひとつ掴み取っていくしかない。

わかった風な大人の言葉なんかじゃ僕たちは動けない。

人から聞いた話なんかじゃ、僕たちの根っこの部分は動かせないんだ。


僕が世界一周することを、ある社会人に話したとき、彼はこう言った。

「世界一周?そんなのつまらないでしょ。僕だったらしないなぁ。」

何十年か早く生まれただけで、わかった風な口を利くなよ。

やってみなきゃ、わかんねぇだろ。

型にはまった大人の助言なんか聞いてられるか。

僕たちにできることは、走ることだけだ。

走って、掴み取ろうともがくことだけだ。

自分たちの信じた道を、ひたすら走り続ければいい。

その先に何が待ってるかわかんないけど、もしかしたら馬鹿みたいなことかもしれないけど、なにも残らないかもしれないけど、なんの価値もないかもしれないけど、とことん突っ走ろうぜ。

たとえ価値がなくたって、価値がないとわかることに、価値があるんだ。

ナンパをするとき、僕が友人といつも言い合って勇気を奮い立たせていた言葉がある。

「声をかけるか、死ぬか!!」



僕たちにできることは、ひたすら走ることだけだ。

「走るか、死ぬか!!」

走るのをやめてしまえば、大切なものが死んでしまう。

どこまでいけるかわからないけど、できればずっと、できれば死ぬまで、

走り続けていこうぜ。



ミツとモリコーは、別れ際に、僕に唄を歌ってくれた。

モリコーが作った唄を、モリコーのギターの音にのせて。

二人の声が、北京の大通りの雑踏の中で、確かにそこに存在しているってことを世界に示した。

僕には、僕よりも二人のほうが旅人に見えた。

人生の旅人、

っていったら、ちょっとかっこつけすぎか。






友達が勝手につけてくれました☆












中国 北京より 首都北京より!!
北京に着いたのは朝6時だった。

北京、、、、大国の首都に着いたのだ。

北京はばかでかかった。計算外の巨大な街だ。

道路がとにかく広い。端と端にゴールを置けば、立派にベッカムがプレイできるだろう。

碁盤の目に道が張り巡らされた計画的な都市だ。

しかし、その計画の規模がでかすぎる。

地図ではほんの数センチの距離が歩くと何十分。へたをすると1時間はかかってしまう。

徒歩ではとても散策できる街ではなかった。

常にバスを利用しなければならない。

だが、ここは人の量も半端ではない。ほとんど常に満員ギュウギュウ詰めだ。

それだけで、北京を離れたくなる。

なんとか目当てのホテルの場所にたどり着いたが、あるはずのホテルがない。

何十キロに膨れ上がったリュックを背負ってひたすら道を右往左往した。


。。。ない。

仕方ないので、次の候補へ向かう。


1時間かかってやっとたどり着いたそこは、、、、潰れていた。

涙で街がにじむ。

宿をたらい回しにされ、ベットにありつけたときには正午を過ぎていた。
朝あんなに早くに着いたのに。。。

どうやら、北京はオリンピックのための開発真っ最中で急速に変化しているらしい。

以前あったものはどんどん壊され、次々に新しく生まれ変わっているのだ。

少し前の地図じゃ下手したら全く役に立たない。



ベットに横になりたかったが、休んでいる場合ではなかった。

今日ビザの延長をしなければ日本に強制送還されてしまう。

ちんたらちんたらと10キロを1時間以上かけて走るようなバスのなかでイライラしながら公安局にたどり着く。

手探りで書類を埋め、写真を取り、これもまた進んでるのか止まってるのかわからないような長蛇の列に並んでやっとのことでカウンターにたどり着いた。

[住宅証明書が必要です。]

[は?]

[ホテルでもらってきてください。]

[はぁっ!?]

めったにキレない僕も、どこにもぶつけることのできない怒りで爆発しそうになった。

ぐぁー!!

大急ぎでホテルと公安局を往復し、戻ってきた時には列の長さは2倍にふくれあがっていた。

まさか、これだけ並んでるのに、閉局時間が来たら無慈悲にシャットアウトってことはないよな?

本気で神様に時間が止まってくれることを祈った。

あと10人、9人、8、7、6、、、、、神様、もう少しだけ。。。


カウンターにたどり着いた。間に合った。。。

領収書を手に取る。

そしてちびった。。。

受け取りは一週間後だと?。。。。。。。。

涙で公安局がにじむ。


まぁいいさ。

それまでに北京を遊び尽くしてやる。

負惜しみを誰にともなくつぶやいて、

暗くなった道をホテルに引き返していくひとくんであった。






友達が勝手につけてくれました☆


中国 泰山より 頂上の女の子たち
地道に一歩一歩足を前に進めていたら、頂上に着いた。

ここで一泊しよう。

泰山山頂から眺める御来光がここまで登ってきた目的なのだ。

頂上はさすがに寒い。滝は凍っていたし雪も残っている。

僕はジャケットのジッパーを上まで締め、フードをかぶった 。

宿をとり、荷物を置いて、山頂付近を白い息を吐きながら歩いた。

ここには天街という登山者たちのための小さな宿場町がある。ここに一泊して、登山者たちは明日の御来光に備える。

しかし今は参拝シーズンではないらしく、人も少なくて閑散としていた。

夏になれば道を埋め尽くすほどの信者であふれるこの町は、静かに寒さが通り過ぎるのを待っていた。

夕方になると、客引きが現れる。わずかに残った登山者を、少しでも多く自分の宿に収めるため彼らも必死だ。
みなが僕を連れていこうとする。宿はもうとってあるので断らなければならないのだが、中国語でなかなかそのことをうまく説明できない。
そこで僕は宿の部屋のカギを見せるという技を会得した。
そうすると、客引きはすこしはにかんだ笑顔で、わかったというように去ってゆく。

共北石の側に腰掛けてぼーっとする。
眼下には花崗岩のごつごつとした山が広がっている。
僕以外には誰もいなかった。

しばらくすると向こうから女の子がやってきた。さっきの客引きの女の子だ。
山頂に住む人がそろってみな着ている大きな深緑色のガウンに彼女も身を包んでいた。

カギをちゃらりと見せて笑いかけると、彼女も笑いながら近づいてきた。

[明日は日の出が見れるかな]

[きっと見れるよ]

そんな会話を交わして別れた。

彼女の鼻からは極太の鼻毛がとびでていた。それが印象に残っている。

きっとずっと寒い風に吹かれてきたのだろう。彼女の顔はほおが赤く、少し厚みがあった。どこかモンゴル民族を思い出させるような女の子だった。

なんとなく彼女の宿に行ってみることにした。

さっきの鼻毛も気になる。

お茶の一杯でももらっていこう。

泰山でも最も高い外れにあるその宿には、主人と思われるおじさんと、4人の女の子がいた。客は僕だけだった。

さっきの女の子に年を聞くと28歳だという。10代に見えるような幼い顔だ。

しかし、鼻毛のことを思えば納得が行く。十年かそこらの醸成ではあの鼻毛はつくれない。

[若く見えますね]と言ったら

[ありがとう]と笑って応えた。

若いといわれるのが褒め言葉になるは中国でも同じようだ。

彼女たちが親切にしてくれるので、僕はそこで夕食をいただいていくことにした。

それからは、彼女たちといろんな話で盛り上がった。

主人の娘の大去は生まれた時から19年間ここに住んでいるのだそうだ。
英語で話すことができてとても興奮しています、と彼女は上気して嬉しそうに言った。
一番可愛い秀美は、泰山の下の町泰安から働きに来たのだそうだ。
もう一人の子珍子は、人見知りなのか僕達の会話を少し離れて聞いていた。
はじめに出会った女の子はこの宿の女中らしく、仕事があって会話をあまりすることができなくて、名前を聞きそびれてしまった。
モンゴル系なのでモン子と名付けよう。

彼女たちとの会話が楽しすぎて、僕は重大なことに気付かずに夜を迎えてしまった。
山頂には電灯もなにも、道を照らすものがない。

外は、真っ暗闇だ。

帰ることができない。

途方に暮れていたら、彼女たちが宿まで送ってくれるという。

彼女たちは仕事がまだ残っているらしく、主人に外に出るなと止められた。

しかし、口論してまで僕を送るために外に出てきてくれた。

彼女たちとワイワイ騒ぎながら暗い夜道を宿に向かって降りていくのはとても楽しかった。

人見知りの珍子も後ろからついてきてくれた。


[明日また会って一緒に写真撮っても良い?]

彼女たちがそう言うので約束した。

[明日また宿にいくね]

彼女たちは、自分たちの仕事のため、僕の宿をみつけてくれるとすぐに帰っていった。

僕は登山のせいでとても疲れていたので、宿の汗臭い布団にもぐると、すぐに寝てしまった。






友達が勝手につけてくれました☆


中国 泰山より 山と神様と罪人と
列車は朝早くに駅に着いた。
バックを預けて、いざ中国一の聖山へ。

海抜ほぼ0mの岱廟から徒歩でゆっくり登っていった。
延々と続く全7412段の階段と、9kmの道のりをゆっくり登っていった。


泰山山頂へ向かう長く急な階段を、重い荷物を木の棒の両端につけて肩で担ぎながら一歩一歩地道に登っていく人たちがいた。
下の町から山頂へ物資を運ぶこと。
それが彼らの仕事だ。
階段を登って、降りる。
それを、何千、何万回と、命が尽きる日まで坦々と続けていく。
その人のがっしりとして黒ずんだ大きな手が、積み重ねられた登山の歴史を物語っていた。

昔誰かが僕に話してくれた。

神様が、ある大きな罪を犯した罪人に、最もつらい罰を与えた。
永遠に山頂へひとつの岩を運び続ける、という罰だった。
山頂にたどり着いても、神様が岩を下に突き落としてしまう。
罪人はその岩をまた山頂に向かって運ばなければならない。
運んでは落とされ、運んでは落とされ、それを永遠と続けること。
それが罪人に課せられた罰だった。

「まったく無意味なことを永遠に繰り返さなければならないことは、人間にとって死よりもつらいことではないか」と問うている話だ。

これを是とするのなら、罪人となった後の彼の人生は、不幸であろう。

罪人と同じ人生を送っている人が、ここにはいた。
彼らには、山頂に住む人たちに物資を運ぶという使命があるのだから、無意味な人生とはいえないかもしれない。しかし、この山の脇にはロープウェーが架けられていた。そのロープウェーの運賃を節約し、余ったわずかばかりの金を糧に生きている彼らのしていることは、無意味と大して変わらない。

それならば、彼ら運送屋の人生は不幸、ということになるのだろうか。

そのような人生を送っているのは運送屋だけではない。

たいていの人間も同じだ。

たいていの人間も、形は違えど、罪人と同じ人生を送って死んでいる。

まったく無意味なことを、坦々と繰り返し、死んでいる。

それならば、たいていの人間もまた不幸、ということになるのだろうか。


結局、人の幸せを決めるのは、何かを成すとか、何かを残すとかじゃなくて、

周りの人とのつながりなのだ、と僕は思う。


山をゆく彼らは、決して不幸じゃない。

そこには、何段か先をゆく仲間がいる。何段か下から登ってくる仲間がいる。
山頂で待つ人がいる。
彼らは、人と人とのつながりの中で、確かな一歩を歩んでいる。


僕は、罪人も不幸だとは思わない。

彼には、山頂まで岩を運んだとき、それを下まで突き落としてくれる神様がいる。

彼は決して一人じゃない。

「はぁ。はぁ。。はぁ。。。
 やっと山頂に着いた。
 今回はきつかったな。
 神様、今度はお手柔らかにお願いしますぜ。」

「だめじゃ!だめじゃ!
 こんな岩、海抜0mまで落ちてしまえーい!!
 こうじゃーっ!!」

 ズバーン。ビシャーん。

「うぎゃーっ!!」

こんな会話を山頂で交わしているとき、
罪人の顔はきっと笑っているはずだ。









友達が勝手につけてくれました☆


中国 無錫より 朋友 2
無錫を出発する日が来た。

時間が経つのはどうしてこんなに早いんだろう。

彼らは、僕と一緒にいる時、決してお金をうけとろうとしなかった。
遊ぶときはことごとくおごってくれた。
それだけは申し訳なさが残った。
そしてまた、僕が彼らにとってお客さんであったのだ、ということを自覚させられた。それはちょっと寂しいことだった。

しかし、もし日本で僕が異国の人と出会っていたとして、同じことができただろうか。

ただ、英語力の乏しさを恐れて話すこともできずに震えている自分の姿だけが目に浮かぶ。

僕は彼らのおかげで、たとえもしこれから先中国人にどんなひどいことをされても、中国という国を好きでいるだろう。
そういうことなのだ。
彼らは自分たちの住む中国を愛し、誇りに思っている。
だからこそ、その国の代表として、訪れる旅人に優しく、親切に接することができるのだ。
もちろん、それがすべてではないと思うけれど、少なくとも僕の持っていないものを彼らは持っていた。

彼らはたくさんのことを僕に教えてくれた。



だらだらしていたら、出発の時間が来た。

フェーフェンとツァイドゥンが宿に迎えに来てくれた。

列車でのおかしや飲み物を買ってくれた。

「もうだいじょうぶだよ。自分で買うよ。」

「いや、これが、僕たちが君の旅のためにできる最後のことになるだろうからね。」


「ありがとぅ。」


駅の中には切符を持っている人しか入ることができない。

ここでお別れだ。

「It`s time to say Good Bye 」

何と言ったらいいかわからなくてもじもじしていたら、フェーフェンがそう言った。

Thank you.

謝謝。

ありがとうございました。

いろんな言葉を並べてみたけれど、自分の気持ちを伝えることができた気がしない。

なんてもどかしいんだろう。

こういう時なんて言えばいいんだろう。

伝える言葉がみつからないよ。

言葉なんて、ぜんぜん意味ないじゃないか。


きっと、こういう時、言葉は必要ないんだね。



「じゃあまたね。」

ツァイドゥンがつたない日本語でそう言ってくれた。


よし、


行こう。


駅の中でも、僕は何度も振り返り、彼らに手を振った。


僕の旅は続いていくんだな。

そして、彼らの日常も、明日からいつもと同じようにこの場所で続いていくんだ。

でも、どんなに遠くても、彼らは僕の近くにいる。

きっとまたいつか会えたとき、僕らは笑って肩を叩き合うだろう。

それだけは実感できた。



なんか、感傷的になっちゃうな。

そんなキャラじゃなかったはずなんだけどな。






友達が勝手につけてくれました☆



中国 無錫より 朋友
無錫は予定外の町だ。
この町に立ち寄るつもりはなかったし、なにより存在すら知らない町だった。
僕がこの町を訪ねることになったのは、友達が待っていたからだ。


フェーフェンとツァイドゥン。

彼らにもう一度会うためだ。


無錫は、上海から特急列車に乗って約4時間の中規模の町だった。
到着するとすぐにフェーフェンが迎えに来てくれた。
平日で仕事中だったのにわざわざ抜け出してきたのだ。
すぐにホテルにチェックインして、ツァイドゥンのオフィスビルまで行った。
フェーフェンが携帯で連絡すると、間もなく大きなニヤリとした笑みがビルから現れた。ツァイドゥンだ。
無錫で小籠包が一番おいしいと評判の店に僕をつれていってくれた。

僕らは出会ったばかりで、お互いのことをよく知らなかったけど、僕は彼らとはずっと前から友達だったような気がした。

フェーフェンは気さくにしゃべる優しいヤツで、友達の輪の中心にいるようなタイプだ。眼鏡をかけていて、それが彼の郵便局員という仕事にピッタリとあっている。

ツァイドゥンは少しふとっちょで、イタズラ好きそうな笑い方をする面白いヤツだ。自衛隊の服を着て戦争ゲームをするのが彼の最高の趣味だ。もちろん中国の一般の人にそんなお金のかかる趣味はもてない。彼は小さな会社の社長でお金持ちなのだ。北京大学を中退してビジネスを始めたというから、さながら中国版ホリエモンか。


彼らには上海のドミトリーで出会った。
僕が上海に到着した時、たまたま1日だけ同じ部屋に泊まることになったのが彼らだった。
次の日の朝、二人が出発する時にアドレスを残していってくれた。
それからしばらくメールのやりとりをした。
そして、彼らは僕を地元に招待してくれたのだ。


それからの数日間はとても楽しかった。

フェーフェンとツァイドゥンと、フェーフェンの彼女と、彼らのたくさんの友達たちと一緒にワイワイ騒いで食事をした。
ゲームセンターに行って本気になって勝負をした。
みんなでふざけながら、丘に登って彼らの街を眺めた。
みんなの趣味の写真撮影会について行って、僕も一緒になってモデルを撮影した。
マックでダラダラしながらいろんなことを話した。笑った。

僕は日本から遠く離れたこの場所に、自分の居場所を見つけたような気がした。それはとらえることのできないような小さなものだったけど、たしかに僕の心の中にあった。

フェーフェンは僕の旅がうらやましいといっていた。
彼には仕事があり、長期の休みでさえ一周間しかなくて、僕のような旅はできない。
大学生活はどうだったのかと聞いた。
中国の大学生は日本と違ってとても忙しくて、彼の大学生活も勉強で終始してしまったのだそうだ。
彼にとっては人生のモラトリアムはどうやっても手に入れることのできない夢の話だ。

僕は、大学生というこの自由な時間を与えられているだけでとても幸せなのかもしれない。

[きっとこの旅で、君は僕よりも中国の土地をたくさん踏むことになるだろう]

中国と日本の話をしていた時に、フェーフェンの言ったこの言葉を思い出した。

国を語るためにはその国を知らなければならない。

だけど、国を知るということはどういうことだろう。どうすればできるのだろう。

その国の土地をすべて歩き尽くすことだろうか。
その国の言葉をしゃべれるようになることだろうか。
歴史を勉強することだろうか。
一つの街に住んで、その土地の人と同じ生活をすることだろうか。

どれもしっくりこない。

きっと国を知ることなんてできないんだ。僕たちは、たまたまつかんだ欠片からしかその国をとらえることができない。
それは外部の人間に限ったことじゃなくて、その国に住む人たちだって同じなのだ。

僕は日本を知っているだろうか。

僕には、日本を語ることはできないや。






友達が勝手につけてくれました☆



中国 上海より Wandering Dog
ヨギさんに出会ったのは上海郊外の周荘という水郷の町だった。

その日、僕は周荘の1日観光ツアーに参加していた。

ガイドのまくしたてる中国語は当然のことながら全く理解できず、かといって見慣れてしまった中国古居群の風景にも飽きてしまって、僕はすっかり退屈しきっていた。

[日本人ですか?]

その時声をかけてくれたのが、ヨギさんだった。

彼はカナダ人の36歳で、日本に英会話教師として数年間住んでいたことがあるそうだ。彼のような誰の目から見ても明らかな欧米人の口から流暢な日本語が飛び出してきて、僕はとても驚いた。

僕は彼とともに行動したほうがきっと面白いと判断し、周荘観光もそっちのけでツアー団体から離れ、彼のグループとともに1日を過ごした。

その別れの時、またいつでも連絡してきていいよと、彼は僕に連絡先を教えてくれたのだった。



次の日上海を発つという日になって僕はどうしてもヨギさんにもう一度会いたいと思い、彼に電話をした。

ヨギさんは快く夕食をともにする約束をしてくれた。

南京西路の駅でヨギさんは中国人の彼女とともに現れた。


中国のレストランは一人では入りにくい。
中国人は一人で食事をとることを嫌い、いつも大勢なので一品一品の量がとにかく多いのだ。
独りだといつも一種類のおかずしか口に入れることができない。
今日は3人でいろいろな料理を食べることができたのでとても嬉しかった。

ヨギさんは台湾に2年間住んでいたことがあり、そこで中国語も覚えたのだそうだ。
僕に話す時は日本語、彼女に話す時は中国語、二人が理解できるように話す時は英語と、3つの言語を使い分けなければならず、彼はとても忙しそうだった。
ときどき僕に間違えて中国語で話してしまったり、彼女に間違えて日本語でしゃべったりしてしまうのがおかしかった。
一つの言語でものを考えている時、ほかの言語に急に切り替えるのはとても難しいのだそうだ。
人間の脳みそはとても面白い。僕にはまだその感覚が理解できない。
何カ国後もしゃべれるというのはどういう世界なのだろう。その世界に僕も足を踏み入れたいと思う。

ヨギさんは自分の名前を中国語で発音の近い[旅狗]と漢字で書くことにしたのだそうだ。
彼が犬年生まれであるということと、故郷を捨てあてもなくふらふらとさまよう人生を送っているという意味が込められている。
中国では犬はあまり縁起の良い動物ではなくよく反対されるらしいが、彼はこの名前が気に入っているようだ。

日本人というのは概して保守的な人種で、とても固定された生活を送る。彼のような生き方をする人はとても少ない。
僕もやっぱり日本人で、ひとつの場所にずっと生きてきたから、彼のような人生にはある種の憧れの念を抱いた。
そういう彼もやはり寂しさはいつもつきまとうのだそうだ。

たとえもし、好きな人と巡り会えることができても、いつも頭の片隅には別れの時のことがあるんだ。

隣の彼女にはわからないように、ヨギさんは日本語でそうつぶやいた。


[あなたの旅では話しかけることがとても大事]

ヨギさんのこの言葉を決して忘れないようにしよう。
旅の初めに、彼に出会うことができて、僕は本当によかった。

彼の言葉を忘れないようにしよう。

そう自分にいいきかせて、僕は次の街へ向かう列車に乗った。

中国 上海より 愛をこめて 2
>1の続き

僕とワンサくんは南京路のベンチに腰掛けて煙草を吸いながら話をした。

中国には上海を除いてナイトライフを楽しめるような街はなく、ワンサくんは上海が大好きらしい。

上海の女は300元。南京路の周りの女の子が接客しているようなBARはぼったくりBARが多く、知らずに入るとすっからかんにされてしまう。中国人の貧乏な人が集まるような飲み屋は上海にはなく、そういう人はお酒を飲まない。南京路を歩いている中国人は地方から来たおのぼりさんばかりでみんなダサい。旅行者はみんな楽しいところを知らないから新天地に行く。あそこは高いしつまらない。そうだったろ?ぽんびきには良いぽんびきもいるし、悪いぽんびきもいる。どこの国でも同じだ。でも上海にはもうマフィアはいなくて、ここは平和な街だ。

ワンサくんはいろんな話をしてくれた。

ワンサくんは32歳で、南京路の近くに自分の部屋をもっているらしい。1200万元だったというから驚きだ。父はシンガポール人でシルク貿易のビジネスをしており、母は中国人。部屋は父が買ってくれたものだそうだ。つまり、ワンサくんはおぼっちゃんなのだ。昼間は普通の仕事をしていて、夜はこのように趣味でぽんびきをしているという。

一人でいるのは寂しいから今日は君にあえてうれしい。友達をつくるのは好きだ。
ワンサくんは言った。

ワンサくんは中国語、英語ができて日本語もかなりしゃべれた。5、6年前池袋の専門学校に留学していたのだそうだ。池袋ということで、僕は彼にとても親近感を覚えた。

[あなた面白い人ね。今日は友達ができてうれしい]

ワンサくんは本気で僕を友達として認めてくれたらしく、それからは彼のガイドによる上海ナイトライフ観光だった。私いるから大丈夫。といってまず、ぼったくりマッサージ店のなかに連れていってくれた。
入り口には長椅子があり、そこには年頃の女の子がずらりと座っていた。中にはステージの上で女の子の一人が歌っており、それを取り囲むようにしてテーブルとソファーが並んでいた。客もちらほらと入っていた。ステージと反対側の奥には板で簡易な仕切りが設けられており、その裏側がマッサージルームだ。

帰りのエレベーターを待つ時、ひとりの女の子と目があった。素朴で可愛い女の子だった。僕に笑顔を投げかけてくれた。少し照れてしまったけど、僕も笑顔を返した。

[あそこの部屋はマッサージだけね。もし寝たかったら、ホテルじゃなきゃだめよ。でもドミトリーは女の子来てくれないよ]

あの子も男と寝る仕事をしているんだな。僕は少し複雑な気持ちになった。

もしよかったら飲みに行こうと誘ってくれたので、予定もなかった僕はついて行くことにした。

ワンサくんが連れて行ってくれたのは上海中心部からタクシーでもかなり走った東の方にあった。そこには外国人の観光客は一人もおらず、地元の若者が集まって楽しそうに踊ったり酒を飲んだりしているクラブだった。
まさに僕の求めていた場所だ。

女の子がカウンターの上で激しいダンスをしている。
奥の個室では薬をやってる奴らが気持ちよさそうにしている。
変なギャルやギャル男がいないぶん日本のクラブより居心地がいい。
僕は一瞬でこの場所が気に入った。

上海のクラブは2時でおしまいらしい。あっという間に時間が過ぎてしまった。

ワンサくんが自宅へ招待してくれた。

タクシー代や酒代を彼はすべておごってくれていたので、いくら感謝しても足りないくらいだ。

彼の部屋はとても広かった。ゆったりとしたリビングがあり、その他にシステムキッチンと部屋が3部屋あった。東京でもこんな部屋に住んでいる人はそうはいない。

酒を飲みながらとりとめのない話をしていたら、どういう流れか一緒にエロDVDを観ることになった。ブラックマーケットで買ったやつだそうだ。

ワンサくんの大きなダブルベットで煙草を吸いながらヨーロッパ人がセックスしているのをふたり並んで観た。

ワンサくんがビールを勧めてくれた。しかし、もう飲み過ぎでお腹がパンパンだ。

[もう飲めないよ]

[だいじょうぶ?お腹]

ワンサくんは僕のお腹に手を置いた。

[疲れたでしょ。マッサージマッサージ]

僕の太ももをなめらかな手つきで触りながらにじりよってくる。

[酔払っちゃった。わたし]

そうしてワンサくんは僕に身体をあずけた。


歩き方や身ぶりからもしやとは思っていたが。。。

膨張していた股間が一気に収縮した。

さて。どうやって彼の心を傷付けることなくこの状況を脱出しようか。

僕の頭はフル回転した。

今までよくしてもらって彼の気持ちに沿うことができないのは非常に申し訳ないが、ここで処男膜を彼に破られるわけにはいかない。

[このAV飽きたな]

[そう?じゃあ他のにしよう]

今度のはアメリカ人ものだ。

車から降りるやいなやすぐに男女が重なり合う。

ちがう。こんなものをもう一本見ているほど悠長なことはしていられない。

[俺、帰るよ。明日の予定に差し支えるから]

[でも、タクシー高いよ?5時になれば安くなる。泊まっていきなよ]

[いいんだ。ホテルもせっかくとってあるんだし]

[そうか、君次第だよ。わたしは君に嫌われたと思う。
君は女の子が好きだ。
でもわたしは男と寝る]

[そうじゃない。僕はセックスが嫌いなんだ。男とも女ともやりたくない。コンプレックスなんだ。今日は君に会えてよかったよ。また連絡しても良いかい?]

[もちろんだよ。わたしも友達ができてうれしかった。忘れ物をしないように。タクシーをつかまえてあげるね]

ワンサくんは最後まで紳士だった。

自分が女の子にセックスを求めて、それを断られた時のことを重ねると、彼の落胆は僕の落胆になりとても心が痛んだ。

タクシーのなかで僕はとても悲しかった。

彼はいいやつだった。とてもいいやつだった。

ただ、僕には彼への恋愛感情はなかった。それだけのことだった。

こんな形で終わりたくなかった。

僕は静かに目を閉じて、自分の思考も遮断した。






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中国 上海より 愛をこめて 1
上海は中国ではない。

この街は1850年頃、外国に開港を迫られ、なかば植民地という形で発展してきた。

さまざまな国の建築様式で造られた建物が渾然一体となって形成された大都市だ。

ヨーロッパと東京をぐちゃっとぶつけてどんっと置いた感じ。僕はそんな第一印象を受けた。

この街ではさぞかしナイトライフも楽しいことだろう。そんな期待を胸に到着初日から上海ナイトライフのメッカと言われる新天地という場所に乗り込んだ。名前からして何やらすごそうだ。

しかし、僕の期待はもろくも崩れさった。

そこには、生演奏を聞きながら酒を飲める年齢層の高めバーと、スーツやらドレスやらおめかしして入らなければならない高級そうなクラブしかなかった。すべてが欧米化している。

ここは金持ちの外国人のための街だ。完全に場違いだ。

僕は落胆して宿に帰った。

上海はつまらない。中国に来てまで西洋の遊びをしたくない。もう次の街にいこうかな。

僕は次の日の夜も沈んだ心持のまま、それでもどこかにあるかもしれない中国人の集まる酒場をもとめて上海一番の繁華街、南京路をぶらぶらさまよった。


しばらくして声をかけられた。

[おにいさん、おにいさん。日本人ですか?ちょっと話しましょう。話だけ。話だけ。話だけだよ。
おにいさん 。マッサージは?いい女いるよ。いい女。]

へえ、上海にはぽんびきがいるのか。中国に来て初めてだ。少し興味がひかれるが、さすがに女と寝る元気はない。ここで反応してしまうと、こいつはずっとついてくるだろう。無視しなければ。

しつこくついてくるぽんびきを必死で無視して歩き続けた。

ようやく一人振り切ったらまたすぐに声をかけられる。

そんなに僕は女好きに見えるのだろうか。いいかげん面倒くさい。

[おにいさん。おにいさん。日本人?話だけ。話だけ。ちょっと話だけよ。話だけ。話だけよ。]

今度の奴は度を超してしつこい。ずーっと歩いているのにいっこうに離れようとしない。ここまでしつこくされると無視し続けるのがとてもつらい。我慢も限界に来てつい反応してしまった。

[おにいさん日本人?]

[そうだ]

[女いるよ]

[女は好きじゃない]

[じゃあ男もいるよ]

[男も女も好きじゃない。セックスが好きじゃないんだ]

そしたら男は僕がお金を持っていないかわいそうな人だと思ったのかこんなことを言う。

[おにいさんお金ない? お金稼げるよ。おばちゃんの相手する。一日1万円]

何?上海にはウリセンまであるのか。上海の夜事情に興味をもった僕はつい立ち止まって話にのってしまった。

それが、ワンサくんとの出会いだった。






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中国 まんなからへんより 赤ちゃん
日本の赤ちゃんのおしりはオムツでパンパンにガードされている。

それが当たり前だと思っていたが、こと中国においてその常識は通用しない。

全く逆だ。

赤ちゃんの服のお股には丸い穴が開いている。

人間において一番大切な部分が丸見えだ。

なぜそのような構造になっているのか、少し考えを巡らせればわかりそうなものだが、
僕は深く考えなかった。しかし、身をもって体験することになった。

その日も僕はバスに乗っていた。街から街をつなぐ長距離バスだ。

中国では鉄道の便数が少く、なかなか切符をてに入れることができないが、
バスの切符は容易に手に入れることができる。バスのほうがいくぶんか高いが時間のほうが貴重なため、
今日も仕方なく乗っていた。

隣は運良く人が座らなかったので、僕は快適に過ごすことができた。

通路を挟んだ反対側の席には赤ちゃんをつれたお母さんが座っていた。

バスの旅は快適で本を読んだり、景色をみたりして僕はのんびり過ごしていた。

本を読むのにも飽きてきたころ、ふと隣を見て度肝を抜かれた。

お母さんが赤ちゃんを駅弁の体勢でこちらに向けている。

発射口はまさに僕に照準があてられていた。

もう少し下だろ!!通路は!!

っちゅうかここでそれをするのか!?

心のなかで叫んだが口に出して言うことはできない。

ここで大声をだしたり、あわてて席を立ったりすれば赤ちゃんに対して人情の無い、
非常識な人間だと思われるだろう。それは最も避けるべきことだ。


しかたない。ままよ。

僕はできるだけ窓に体をへばりつけて静かに来るべき時に備えた。

。。。

ちょーーー



びちゃびちゃびちゃびちゃ。。。びちゃびちゃ。。。

ぴちょ。。ぴちょ。。

ぴ。。。。

ぴ。。


止まったようだ。

赤ちゃんの膀胱の筋肉が発達していなかったことに助けられた。
おしっこは、僕の隣の席の足場を水溜まりにするに留まった。

助かった。

僕は安堵の気持ちに包まれた。

しかし、その数分後にトイレ休憩でガソリンスタンドにバスが停車した時、

僕は怒りを覚えずにはいられなかった。


発射は道中あと2度ほど行われ、その後目的地についた。

通路には赤ちゃんのつくった川が運転手さんの方まで続いていた。






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